一般社会人オタクの雑記帳

趣味と仕事の備忘録

【観劇記録】2024/12/1 乱舞音曲祭 横浜公演 大千秋楽

恋は人をこうも狂わせるか、と実感した。

 

あらすじ:何の気なしに参加した愛知公演で長谷部沼に落ちた

 

もとよりチケットは取っていなかったし、仕事のスケジュール的にも参加は厳しいという理由から、大千秋楽を観劇する予定は全くなかった。

観劇後はX(旧Twitter)に流れてくる連日のレポを見ながら、自分に向けられたファンサや、長谷部の歌声に思いを馳せていた。

しかしふと、「なんで祭りやってんのに私は仕事してんだ?」と一瞬思ってしまった。長谷部の美しいオフショを眺めながら、「こんなに美しい人が歌って踊ってる間仕事してる意味、分からなすぎる……」ともはや生きる意味を失いかけ、最終的には「この千秋楽観れなかったら一生後悔するかも……」という考えに至った。

祭りの終わりを見届けるまで死ねない、そういう思いで公式トレードサービスからチケットを、奇跡的に指定席で入手し、開場時間ギリギリの新幹線で新横浜駅へ向かったわけある。

 

前回参戦した愛知公演から、私の中で長谷部という刀に向けられる感情は大いに拗れた。

愛知観劇後のファミレス談義で既に「え歌上手くない?」「ビジュやばないか?」とそこそこな落ち様だったが、俳優さんのオフショを漁ったり、ミュのFCで配布される待ち受け画像を長谷部のものに設定して、会社ではそれを眺めながらおにぎりを食べたり、散歩中の音楽が全部花影関連の曲に変わったりした。

ゲームの方でも少なくとも1年くらいは日向くんor薬研で固定していた近侍を長谷部にバトンタッチしてもらい、極にし、大阪城以降むちゃくちゃにレベリングしている。

今も、PCの横には友人がランダムで当ててくれた長谷部の缶バッジを置いて、ふとした瞬間に見つけてはニヤニヤしている。

とにかく四六時中、へし切長谷部という刀のことを考えている。

 

社会人になってから、オタクとしての自分は死んでいくのかなと思っていた。

学生時代はもうとにかくずうっと何かしらにハマっている状態だった。

特にハマっていたジャンルでは二次創作をしていたのだが、今では過去作品の再掲ばかりでSNSの更新も遅く、筆を折ったも同然。そのコンテンツに関連した配信・派生作品・グッズに全く魅力を感じなくなってしまった。

とにかく課題も研究もないがしろにして単位を落としかけるくらいには没頭するのが常で、それを生きがいとしていたのに、社会人になってからは、家に帰ったらなんとな~く芸人の方のYoutubeを見てへらへらひとりで笑って、最低限の家事だけ済ませ、日付が変わる前にはなんとか寝る、といった感じ。にわか以上、オタク未満という階層でうろうろしながら、もう新たに力を注げるようなコンテンツはなくなるんだろうな、こうしてオタク人生は終わっていくのだろうなとどこか諦めた気持ちになっていた。

だからこんなにずうっと推しのことを考えている感覚自体がかなり久々。世界に色がついたような心地というか、なんというか………………生きるの、楽しいなと思った。

単純作業を繰り返すグレースケールの世界に、じわじわと水彩絵の具の色水が広がっていくような感覚。

新しいコンテンツにハマったことは幾度となくあるが、ハマりたてってやっぱり何してても楽しい。過去作品観たり、そのレポを読んだり。俳優さんのFCに入ってエピソードトークを摂取したり、SNS遡ったり。とにかく目に触れるもの全てが新しくて何もかも楽しい。人生良いな。

ただ、冒頭のフレーズにある通り、今回私は長谷部に対して「恋した」という感覚を持っている。そこが従来の落ち方とちょっと違う。

沼に落ちた、とか、推しになった、とかよりも、なぜか恋という単語の方が今の私の心境としてはしっくりきている。

この感覚に対して明確な解はおそらくない。多分、

・予想外のところから性癖どストライクに刺された「一目ぼれ」感

・会場で実際に見た、という実体験(2次元データ相手だと非現実的になりがちだが、実在する生々しさを享受できた)

・オタク特有の「今回はいつもと違う」という勘違い

がいい感じにブレンドされているのだとは思うが。

 

前置き長いが、「拗らせた状態で改めて観劇してきたぞ~!」という話である。

 

全てがカッコよかった

愛知公演は「勝利の凱歌」「Can you guess what?」「かざぐるま」(全て三百年楽曲)くらいしか分からない状態で、とりあえず友人のティーチングとノリでごまかしたが、観劇後浴びるように刀ミュ楽曲を摂取したおかげで横浜ではかなり「ここYoutube Musicで聴いたとこだ!」をやることができた。

花影メンバーでの「IGNITION」とか特に。何も知らない状態だと長谷部……歌うますぎるな……の感情しかなかったが、原作メンバーがそろっている状態だと認識できるとまた違った旨味がある。今回も相変わらず長谷部は歌が上手かった。ロングトーン本当に安定している。頼むからMV出してくれ~……

それから、長義の「鼓膜の奥」を生で聴けたのは一生の思い出かもしれない。

あの声色、本当に癖になる。端っこの蕩けたミルクチョコレートの中にちょっとレモンの酸味が入っているみたいな……これ絶対伝わらないけど。甘さと怜悧さが黄金比で入ってる感じ。たまらん。

長義に関してはモニターに映るたびに歓声上がってたのが一番面白かった。顔面がファンサ。

(会場にいる人は画面越しでしか普段見ない人たちが客降りであり得ない回数、あり得ない距離に来てくれることで混乱状態なので、「ウワ!顔良!」と思ったものに本能的に反応してしまう状態になっていた気がする)

 

長谷部の「REASON」も良かった。あれは大俱利伽羅のソロ曲だけど、見事に長谷部らしさを落とし込んだパフォーマンスになっていた。最高。

というかソロがあるのって本当にすごいな。キャラクターやその立ち位置自体の魅力、人気もさることながら、俳優さん本人の歌唱力やパフォーマンスも兼ね備えてないと手にすることができない………のでは? 長谷部を演じてくれてありがとうございます。

 

あと長谷部さん、ファンサに来ましたね。

「勝ちにいくぜベイベー」の時だったと思う。私の座っていた列の端の手すり(?)に凭れて、ウンウンと満足気でした。端の方に恐らく長谷部担の方がいた、………………のかな。顔良すぎて混乱してたので分からない。私とも一瞬視線が合ったのでほんと ほんと あの、あの、えっと………………

 

ありがとうございます。

 

そういえば、長谷部がLevel5に来ていることに私は気づいていなかったのだが、隣にいた妙齢のお姉さまが「ほら!長谷部!長谷部きたよ!!!!」とめっちゃ肘でつんつんしてくれたので気づくことができた。私は「え、や、あ、あ、嘘、ヤバヤバ、カッコイ……!!」くらいしか声が出なくて、混乱のままファンサを迎え撃つことになったが、正直気づかないままの可能性もあり、その場合はファンサによる心不全であの世行きだったかもしれない。お姉さまには本当に感謝している。

初めてお会いする方だったのだが、開演前私が心を落ち着けようとゲームの長谷部を眺めていたのを見てくれていたのだと思う。休憩のときもおいしい龍角散をくれた。マジでありがとうございます。

というか、ファンサ………もろたで………と余韻に浸っていた次の瞬間には長谷部が舞台におり、キャストの機動もおばけなのかよ!とちょっと笑ってしまった。忙しない。

 

今回の座席がLevel5という結構高くて舞台からも離れた席だったのと、その中でもさらに後ろ側だったので、ファンサ自体全然期待してなかったのだが、結構いろいろな子が来てくれた気がする。覚えているのは明石と一期だが、もっと来てくれてたはず………………。「顔良い~~;;」と腰が抜けそうなのを必死で耐えていた。

 

カテコは大千秋楽ということで全員が言葉を発してくれた。

長義のコメント短すぎワロタ。あとその次、長谷部、自分の番だと思ってなくて一瞬「お、俺か?」という感じになってたのめっちゃ可愛かったな。

でもコメントは凛々しく、ひたむき。さすが国宝。

 

東京ドーム、本当におめでとう!!!!!!!!!

ホテルはもう取った。あとはチケットだけ。こういう時ばっかり行動が早い。

隣の席のお姉さまとも「また会いましょうね」と約束したので、絶対に当てなければならない。当てて、龍角散のお返しをさせてほしい。

来年の7月までは、少し色のついた人生が続きそうだ。

【観劇記録】2024/11/4 乱舞音曲祭 愛知公演ソワレ

この日、私は恋に落ちた。

 

刀剣乱舞というコンテンツにハマって今年で6年目……か?

少なくとも2018年には私の本丸が生まれ、そこから寝る間も惜しんでやり込む時期と、ログインすらしない時期を緩やかに繰り返しながら今に至る。

2.5次元ミュージカルを初めて経験させてくれたのは刀剣乱舞だった。

「三百年の子守唄」 再演。東京ドームシティホール。忘れもしない。今思えば観え方は良くなかったし、客降り動線からは遥か遠く、音響も中の下くらいだったと思う。

それでも、彼らの紡ぐ演技、それからキレッキレのパフォーマンスは私の心を強く揺さぶった。無機物である刀。ともすれば人を斬る、武器。嘘か真か今となっては分からない、逸話。それらに耳を傾け、真摯に向き合う彼らを美しいと思った。

数多ある刀ミュ楽曲の中でも、三百年代表曲である「勝利の凱歌」は、冒頭の法螺貝を聴くだけで涙が出そうになるくらいには好きだ。

あと「脱いで見せまショウ」も好き。あれ冒頭で流れるの凄すぎる。私はあの曲で2.5次元の洗礼を受けたので、かなり思い出深い曲になってしまった。冒頭は蜻蛉切様とか石切丸で置きに行くのではなく、千子村正でゴリゴリのアダルティに持っていくの、刀ミュの「攻め」の姿勢で好きだ。

その次の新作公演、「葵咲本紀」は時期が合わなかったので行かないという選択肢を取ったが、そのあとのパライソは友達と連番でチケットを取って、仙台公演に行く予定だった。

が、ご存じコロナである。行く予定だった仙台公演はもちろんキャンセル、そしてその後続、東京凱旋公演すらなくなった。パライソの物語はたった数公演で幕を閉じた。

ショックだった。

そこからみほとせに抱かされたふんわりとした良い記憶だけで、2024年に至る。パライソだけでなく、その後続いた新作公演も全て観ていない。

だって悔しいからだ。観れなかったのが。配信やDVD、再演があったとして、そこで観ても、きっと当時の、初々しそうな日向君や浦島君を生で見るという経験を失ったことには変わりなくて、それを突き付けられるのが怖かった。

あと、1つ飛ばすと、その作品に出てくる男士たちの関係値や演技の個性が分からないままその次の新作や年末の大型ライブに望むことになるのだが、そこで置いてけぼりを食らうはめになる。それが、私の当時のプライド的には許せなかった。若かった~。

 

まあ、社会人になればそんなプライドどこ吹く風。

一人暮らし。仕事。上司や先輩から恐れ多くもかけられる期待やプレッシャーに押しつぶされそうな中、過ぎたルッキズムから始めてしまったダイエットで、自分で自分を苦しめる始末。むちゃくちゃになりかけていた私は癒しを求め、「とにかくイケメンをたくさん拝みたい」と、ゴリゴリ現役勢の友人との連番を含め、現在住んでいる関西から行けそうな現場は全て応募した。

 

ファンクラブ先行、連番1公演。

ゲーム先行、単番1公演。

 

運に恵まれないオタクの戦果などこんなものである。

まあしかし、1公演も当たらず、見切れや機材席でも良いから! と縋る人もいるほどの公演で指定席を当てることができたのだ。きっと十分に運は良かった。

 

11/4は友人との連番の日だった。

友人は車いすを使用するので、私は一応同行者・補助者という立ち位置。フルフラットの会場らしいというので見え方だけが心配だったが、少なくとも車いす席はかなり前方、かつ客降り動線が目の前で、良い席に思えた。

開場と同時に入場し、そこからは友人とフリートーク。ペンラの組み立て方、これまでの公演の話等を聞きながら1時間ほど過ごした。

そこでやけに覚えているのは「運営は長谷部を推したがっていそうだ」という友人の見解である。なんでも、中の人の歌が上手く、ビジュアルも良いからと。

私は思った。「え、鶴丸国永じゃないんだ」と。

ミュの鶴丸がヤバい、というのはコンテンツを離れていた私でも流石に知っていた。ミュージカル初経験で、対となるコンテンツ「舞台 刀剣乱舞」に既に存在している刀剣男士を見事に演じ切ったと。Mステ出演時、「いったん見とくか……」と意を決して視聴して、「え?鶴丸すぎる」と衝撃が走った日はそう遠くなかったと記憶していたが。彼を推す時期はもう終わったのか……。まあもう彼、ロミジュリとか出てるし、推さなくても売れる時期になったのか。時の流れに置いて行かれているなあと実感した一節であった。

これ、伏線である。

なんとなくビジュが好きだからと、パライソに対する仄暗い気持ちを捨てようと、ペンラカスタムは日向正宗くんで臨んだ。

 

開幕。

「九重」は長曾祢虎徹の顔が良すぎることしか記憶にない。あと蜻蛉切様も。

スーツのムキムキ男に弱いので、これは仕方がない………。

ただ、問題はそこではなかった。

ものの十数分であったと思う。

 

記憶がない(オタクあるある)の定かではないが、おそらく「百花絢爛」。

へし切長谷部の、歌唱力。

伸びるロングトーン、程よいビブラート。

 

歌………………うますぎないか?

 

私は歌の上手い男が大好物である。

みほとせの推しを「顔だけで選べ」と言われたら石切丸だが、総合的に選べと言われたら歌唱力に10倍くらい重みを付けて採点し蜻蛉切様を選ぶ。様を付けているのはそういうことである。

ミュージカルと銘打っているのであれば、歌が上手いのが当然であるが、悲しいかな2.5次元は必ずしもそうではない。顔だけ選抜だったり、新人発掘目的だったり、もはや顔も声も残念なことすらある。ので、刀ミュに歌のクオリティをそこまでは求めていなかったが、数少ない「ガチ」の歌うまである蜻蛉切様/Spiさんだけ が、歌唱力という点では心の拠り所だった。

この時までは。

 

へし切長谷部が登場した次曲は「IGNITION」。これは会場で初聴きした。当然のように花影は通っていないので。

もう、あまりにへし切長谷部の歌が上手すぎた。

ラスサビで長谷部の高いロングトーンがあるのだが、普通に歩きながら歌ってて声出そうになった。

人間なら誰しも経験があるだろうが、歌いながら移動すると声がブレる。リズミカルで細かい音符の曲ならバレないが、ロングトーンはブレがすぐ分かる。

しかし彼のロングトーンは一切ブレない。びっくりするくらい。もはやCD音源か?というレベル。ほんとに途中までCDを疑っていたが、どこかの曲でCD音源ぽくない煽りをかましてたのでおそらくCDではない。CDでないことがこんなに恐ろしかったのは生まれて初めてである。

蜻蛉切様の歌声はガチミュージカルなので、生歌感がかなりある。息の入り方、呼吸、身体すべてを楽器として響きを増幅させるイメージ。

対して長谷部の声はすげー飛ぶ。響かせるとかよりも、飛ぶ、飛ばすイメージだ。すうっと細い、けれども強い芯のある声が、確実に審神者の心をぶっ刺す。多分あれは北口榛花選手の槍より飛んでた。バチバチに若い男の、本気の歌声。

超絶解釈一致である。

歌声の聞き分けができていたわけではないので、「長谷部の声だ」と確信をもって聞くことができたフレーズはそう多くなかったが、聞くたびに(うますぎる……)と大混乱だった。

思えば、恋の戸惑いであった。

 

しゃんと張った胸、エッフェル塔でも建ってんのかと思うくらい高い鼻、バチボコにくりっとした瞳から注がれる少し甘さのある視線。タオルをぶん回す時のオラついた顔。不敵に浮かべられる笑み。刀を抜く仕草、はためくカソック。軽装のおぼこい走り姿。

全部が全部、スローモーションで美しく見えた。今流行りの言葉で表すなら「メロい」にあたると思われる。

へし切長谷部が歌うたびに大混乱する私の隣で、友人は最推しである髭切からガチファンサ(ウインク+指バーン)をいただき、死んでいた。記憶が混濁しているのでこれも定かではないが、たぶんちょっと舌ペロもしていた。

流れ弾を食らったとかではなく、車いす席(通常席より若干高い位置)を確実に狙っていたので存在を確実に認知されたう上でのファンサである。

髭切が ファンサをしたと思ったので 11月4日は ファンサ記念日

 

その直後に私も念願の蜻蛉切様にファンサをいただいた。

客降り動線のも~~~~のすごく近くまでいらっしゃったので、恐れ多くも片手でハートを作ってみたのだが。なんと、なんと、なんと、もう片方のハートも作っていただけたのである。

慈愛に満ちた笑顔。たまらなかった。ファンサ記念日はガチである。

それから、友人とは別サイドにいた車いすの方が、明石国行からすげ~長尺のファンサをもらっていた。確実にロックオンし、その場に居座り、その人を見つめながら歌うのである。多分5~10秒くらいいた。流れ弾というか、ええ匂いやった。ありがとうございます。ファンサ記念日はガチ。(2度目)

 

ファンサで良いな~と思ったのは明石国行と陸奥守吉行。

明石国行は先述の通り、ロックオンしてめっちゃ湿度高いファンサをするか、のべつ幕なしにファンサする(すごく適当)かなのだが、それがめちゃくちゃ明石国行で良い。前者は「自分みたいなんが好きとか、あんさん物好きやなあ。物好きついでに自分の暇つぶしに付き合おうてもらいましょ」って感じで、後者は「どうせあんたらみーんな、この顔が好きでっしゃろ」って感じ。どっちもちゃんと明石国行スタンスとして解釈一致だった。

 

あと陸奥守吉行はファンサうちわとか概念コーデとか、とにかく陸奥守吉行に向けられた感情に対して思いっきり爆レスしてくれる。

良いな~と思ったのはファンサうちわに対してすげ~ニッコニコで長尺ファンサしたあと、まさかのそこ周辺が持ち場で、そこにとどまって踊り続けていたやつである。基本的に彼は全方位に太陽のような笑みを振りまくのだが、さすがにその時ばかりは推してくれている審神者に集中砲火していた。陸奥守吉行のオタクが死んでいるのを遠目で見れて、かなり良かった。

 

サルサdeソウルの長谷部がはっちゃけすぎている話と、2部パライソパートの話はまた後日。12/1の大千秋楽も観劇したので、その感想に添える形で書く。

 

久しぶりのミュージカル観劇で、「そのコンテンツを好きな人だけが集まっている」という事実がどれだけ心強かったかを思い出した。はしゃいで、騒いで、記憶をなくして、ちょっとだけ泣いて、腕が筋肉痛になって。その痛みすら思い出。

当初の目的である「癒し」を得られただけでなく、これから先の人生がまた少し鮮やかになったような、気がした。

 

終演後、近場のファミレスで友人と感想を言い合ったのだが、もう私の口からは「てか長谷部めっちゃかっこよくなかった?」しか出てこなかったし、友人の口からは「てか私髭切にファンサもらってなかった?」しか出てきていなかった。記憶が混濁した者同士の会話は困難を極めた。

朦朧とする意識の中で食べたサラダのおいしさだけは覚えている。